All posts by chanami@mtholyoke.edu

MODEL: 私の地震の経験と台湾の地震

みなさん、こんにちは。花見ちひろです。

2月7日に、台湾で大きな地震がありましたね。自然災害は、いつ起こるか分からないので、とてもこわいと思います。

みなさんは、2011年3月11日、日本でとても大きな地震があったことを知っていますか。この地震は、東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい)とよばれています。私はその時、日本にいました。私と、父、母、兄の家族全員が、自宅被災しました。18歳の春、高校を卒業して、大学に入学する少し前のことでした。

日本では、よく地震が起こるので、日本人の多くは、小さい地震には慣れているんじゃないかと思います。私もそうです。でも、その日の地震は、今までに経験したことのない大きさでした。はじめは弱いゆれでしたが、すぐに強いゆれに変わりました。私は、母にドアを開けて外に逃げるように言いました。日本では、地震が起きたら、安全な場所に逃げられるように、まずドアや窓を開けるように言われているからです。次に、ペットの犬をかかえて、私も外ににげました。兄も外に逃げることができましたが、父はゆれが強すぎて動けなかったので、地震の間、ずっと家の中にいました。

ゆれはどんどん強くなって、家や、電柱や、コンクリートのへいや、地面が海の波のようにゆれていました。私と母は、立っていることができなくて、地面にしゃがんでいました。とても長い間、ゆれが続きました。家はこわれませんでしたが、家のかべにはひびが入って、本棚や置き物など色々な物が壊れて、家の中はめちゃくちゃでした。私の町では、災害が起きたら小学校の体育館に避難することになっていますが、私の家は小学校から遠いし、小学校までの道は地震でこわれてしまって危ないし、避難所に犬を連れていってはいけないので、避難しませんでした。

それから2週間、大きな余震が毎日あって、ねむれませんでした。水も、電気もありませんでした。水は、自衛隊配給でもらって、家にある食べ物を毎日少しずつ食べました。

実は、ジンさんも、東京でこの地震を経験したそうです。東京はあまりゆれなかったので、けがをした人はあまりいなかったらしいです。でも、ジンさんは、千葉県で被災したお母さんが東京に帰って来られなくて、数日間、一人でアパートで過ごしたそうです。ジンさんはまだ小学生だったので、とても怖くて、さみしかったんじゃないかと思います。

東日本大震災が起きた時、たくさんの国が日本の人々を助けてくれました。7日に大地震があった台湾も、すぐに救助隊ボランティアを日本に送ってくれました。

NHK Web Easyの2月7日のニュース(http://www3.nhk.or.jp/news/easy/k10011319021000/k10011319021000.html)によると、今回の台湾の地震で、250人以上の人がけがをして、5人が亡くなったそうです。まだ行方不明の人がたくさんいるので、けがをした人や亡くなってしまった人の数は、もっとふえるかもしれません。私は、東日本大震災を経験したので、今、台湾の人がどんな気持ちなのか分かります。だから、とても心配です。日本は、台湾に救助隊を送ったそうです。私達も、アメリカから、何かできることがあるでしょうか。

今はだた、一日もはやい復興をいのっています