3−5 これからも発見は続く!

このように、万葉仮名•ひらがな•カタカナがいつごろから使われていたのか、また、ひらがな•カタカナが万葉仮名からどのように発達していったのかは、これからも発掘からの遺物の研究によって、今までの定説がかわっていく可能性が多いにあります。

2015年11月に新しい発見がありました。京都市中京区壬生朱雀町での発掘で、古今和歌集にも選ばれている有名な「難波津の歌」が書かれた、9世紀後半の物と見られる木簡が見つかったのです。

京都新聞の記事(http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20151126000134)によると、「難波津の歌」は、7世紀からの史料に登場する古い歌で、全国で37の墨書土器や木簡にこの歌が書かれていることから、貴族の手習い(文字の練習)によく使われていたのではないかと考えられるそうです。

京都市埋蔵文化財研究所が発行している「リーフレット京都」325号(2016年2月発行)http://www.kyoto-arc.or.jp/news/leaflet/325.pdf にもこの木簡が紹介されています。

nanihatsu
「なにはつ(難波津)」木管 (所蔵:京都市埋蔵文化財研究所) リーフレット京都 325号(2016年2月発行)http://www.kyoto-arc.or.jp/news/leaflet/325.pdf より

今回発掘された木簡は、時代的には、藤原良相(ふじわらよしみ)邸で見つかった墨書土器より少し新しいものだそうですが、そこに書かれている文字が、藤原邸の墨書土器とは少し違うことから、この二点は、同時代の異なったデータの対照研究を可能とする貴重な遺物というわけです。

 

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *