3−2 いろは歌土器

「いろは歌」が書かれている土器を紹介します。みなさんが日本語を習い始めたとき、「あいうえお五十音表」を使ったと思いますが、もう一つ「いろは」という順序があることを知っていますか。万葉仮名の「いろは歌」は、10世紀末から11世紀中頃に成立したと言われています。この「いろは歌」のほぼ全文がひらながで書かれた土器が京都市内で発見されています。

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「いろは歌」墨書土器 (所蔵:京都市埋蔵文化財研究所)リーフレット京都No.297 (2013年10月)考古アラカルト58 http://www.kyoto-arc.or.jp/news/leaflet/297.pdf より
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いろは歌」墨書土器釈文 (所蔵:京都市埋蔵文化財研究所)リーフレット京都No.297 (2013年10月)考古アラカルト58 http://www.kyoto-arc.or.jp/news/leaflet/297.pdf より

以下、(公財)京都市埋蔵文化財研究所•京都市考古資料館が発行している「リーフレット京都 No.297 (2013年10月)考古アラカルト58 http://www.kyoto-arc.or.jp/news/leaflet/297.pdf から、「まとめ」の部分を紹介します。

まとめ

「いろは歌」は全ての仮名47文字を一度だけ使ってつくられている歌で、七五調の今様形式になっていることから10世紀から11世紀中ごろに成立したと考えられています。現在最古の「いろは歌」は1079年に成立した『金光明最勝王経音義(こんこうみょうさいしょうおうきょうおんぎ)』と呼ばれるもので、経典の発音につかわれる仮名の一覧として「いろは歌」が万葉仮名で記されています。平仮名が記された考古資料としては、伊勢の斎宮跡で出土した11世紀末から12世紀前半の士師器の皿が最も古いとされています。ただ、この資料は「いろは歌」の一部(9文字)が読み取れるものであり、平仮名の「いろは歌」全文がうかがえる資料としては今回の資料が最古のものと考えられます。筆跡の未熟さや文字の転倒などから、作者は文字を習い始めた子供と推測できます。11世紀前半に記された左大臣藤原頼長の日記『台記』には10歳の三男が天皇の前で「いろは」を書いたことが記されていますが、今回の資料は、そのような手習いの実例と考えることができます。ただ、士師器の皿に記されていることは斎宮のものと共通していますがこれが何を意味するのかは今後の課題です。(吉崎 伸)

全文を読んでみたい人は、このリンクを使ってください。http://www.kyoto-arc.or.jp/news/leaflet/297.pdf

 

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